いちばん重要なのは
「どこでやるか」じゃない。
―KONA1年目にTKが感じたことが、今回のテーマである「なぜKONAが特別なのか?」という問いにつながってくると思うのですが、あらためて問われたら、どう答えますか?
「どこでやるか」じゃなくて、「誰がやるか」なんですよね。
つまり基本的にクオリファイした人、選りすぐられた人だけがやっているわけですから、それはどこでやっても素晴らしいレースにならないわけがない。
(レースの標準レベル、クオリティが)そういう選りすぐられた人たちのベストに合わされるから、その世界最高レベルに対して自分はどれだけやれるのか? という壮大なチャレンジになる。
大会の運営自体は実はそんなに素晴らしいわけじゃなく、むしろ結構、いいかげんだったりして(笑)、(カーボやアワード・パーティーの)ご飯も正直全然おいしくない(苦笑)。ヨーロッパなど、もっと運営面が充実した大会はたくさんあるでしょうね。でもKONAは、それでもいいんですよ。スタートからフィニッシュまでの時間さえ充実していればいい。そこが大事というか、そこだけが重要なわけで
―コースもごくシンプルですよね。バイクコースもクイーンK(※写真のような溶岩原の中を貫くハイウェイ)に出てしまえば沿道からの応援もほぼないし。ハワイという開催場所が良いと思われがちですが、そういうリゾート・トライアスロン的な良さとは違うと。
そうですね。海はキレイですけれど、アトラクション的な楽しさは全然ない。むしろ(バイクでは)厳しい風や強い日差し、ほぼ真っすぐ延々と続くハイウェイ。ランコースも人のいない、だだっ広いハイウェイをひたすら走って帰ってくるという、「辛いことだけ用意してくれてありがとう!」という感じのコース。
―仮に同じKONAのコースで一般向けの大会をやるとしても、あの「世界選手権と同じ場所を走れる」という興奮くらいで、それほど楽しいものじゃない?
でしょうね。ホントにこのメンバーでやるから、面白いんだと思いますよ。フィニッシュタイムも10時間台とか11時間台がボリュームゾーンで、あとは一気に少なくなる。
世界の強豪たちが、
何度でも帰れる原点。
―KONAでは、ほかの予選レースなどではチャンピオン(年代別上位)の人たちが潰れて、歩いてしまうこともありますが、それはなぜでしょう?
周りの人たちのレベルが高いぶん、オーバーペースには陥りやすいですよね。
それにほかの大会では、「速い人」でいられたトライアスリートも、ここではちょっと頑張ったくらいじゃダメ。気分の問題で、普段ならば「よし、自分は今、何位だ!」とか「これでKONAのスロットが獲れる!」というのがモチベーションになることもあるのですが、そういう満足度は、ここでは何にもない。
ただ、「自分は何をやっているか」というだけなので、「相手は自分だけだ」と切り替えられればいいんだけど、「(相対的に)良い結果にからまないならば頑張れない」という自分に直面することもあるかもしれません。
自分の場合、KONAでは今のところ順位は関係なくて、例えばバイクでも今のひとこぎはちゃんとこげているか、次はどうか、その次は・・・という自問自答の繰り返し。スイムでもランでもそう。自分に胸の張れるレースができるかどうか、それがすべてでした。
―KONAにクオリファイするような、各国選りすぐりの強豪エイジでも、トライアスロン・レースの基礎にまた戻ってくる感じですね。
ホントにそうです。ひたすら自らの一挙手一投足と向き合うことの繰り返しですよ。
気象条件などまわりの状況・条件は刻々と変わるけれど、自分のできることはそんなに多くない。ただどんな状況でも、自分のやれることをやるだけなんです。それができる人だけがエキスパートになれんじゃないかと。
あとは、このレースを経験しておくと(普段の練習でも、ほかの大会でも)目さえ閉じれば、どこでもKONAになる。
ひとりでランニングをしていても、「今、自分は、ちゃんとクイーンKで走れているか?」とか、「この一歩をちゃんとできているかどうか」というのがイメージできてしまう。KONAでちゃんとできなかったときに、どんどん後退していく悔しさとかも含めて。「ここでちょっと緩めたら、すぐ後ろから抜かされちゃうんだよな」とか。
オリンピアンも魅了する、
KONAの夢とは?
―TK自身、KONAでは、まだまだずっと楽しめそうですか?
ずっといけますね。今回の稲田弘さんの素晴らしいフィニッシュ(※レース登録上86歳=85歳11カ月で完走し、自らのもつKONA最高齢完走記録を更新した日本人で唯一の年代別世界王者)を見てもそうですが、自分もこれから50代、60代と無限に振り出しに戻れますから。
(直近で言っても)今の進捗からいけば来年か再来年くらいには表彰台に到達できる可能性はあるので、それをひとつの目標にしてやっていきたいですね。
稲田さんともアワードパーティーの後、お話しする機会があって、「今度は私も表彰台に立つので、そのときは一緒に入賞者のカップを持って記念撮影しましょう!」と誓い合ったんですよ。
その表彰台の上からの景色を見ることができたら、また違う世界が見えてくるかもしれませんね。
表彰台を狙うということは、同じエイジカテゴリーの中で人(ほかの選手)との闘いにもなってくる。自分がベストパフォーマンスを発揮できたとしても、他の人たちのベストがそれを上回っていたらダメだから、そんなに簡単にはいかないとは思うんですが。
その難しさがまたいいというか・・・同じ世界最高峰でも、オリンピックでは、こうした挑戦は何度もできないけれど、ここならば、ずーっとできる。
オリンピックって、現実味がないんですよね。それに比べてKONAは、オリンピックに出た身からしても世界最高の舞台だと言えますし、(エイジグルーパーとして競う相手は)みんな働いているし、みんな同じ年代の現実を生きている。
MTBでオリンピックに出たときは、まわりはみんな20代で、小さいころからその競技をやり込んできた選手ばかりだったけれど、KONAでは、それぞれ違う背景をもった人たちが、同じ条件で、いつまでも競い合える。
―オリンピアンでさえもまた同じスタートラインに戻ってこられるわけですね。ロード(自転車)の金メダリストで、グランツールでも活躍したアレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン)が今回TKと同じエイジで7位でしたが、今後の展開によっては、彼と競うことになるかもしれない。
それが自分でも、ほかの誰かでも、いつまでも挑み続けられる相手がいる。
これが世界中のトライアスリートのやる気の源泉だと思うんです。
もちろん、いろいろなトライアスロンの楽しみ方があっていいと思うけれど、ビギナーからベテランまで、レベルや年代に関係なく、「いつまでも挑戦し続けられること」がトライアスロンの「美味しいところ」だとしたら、その最高峰であり「究極」はKONA。だからここが唯一無二の特別な場所なんだと、そう思うわけです。