KONAを目指す挑戦者たちのライフストーリー

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沼部真理子さん

知ることの楽しさをエネルギー源に、人として、
女性として、歯科医師として成長してきた60年。

この夏レギュラーメンバーになった沼部真理子さんは今年60歳。2年前KONAチャレに応募したときスプリントに出場経験があるだけの初心者だった。着々と練習を重ね、昨年初ミドルを完走。コロナ禍の今も確実に成長を続けている。その素顔は、少しでも多くの人を歯周病から守ることを目指す歯科医師であり、ふたりの娘を育て上げた母であり、1歳半の孫がいるおばあちゃんでもある。そんな沼部さんを歯科医院に訪ね、人生とトライアスロンついて話をうかがうと、仕事も子育ても趣味も真正面から取り組みやりとげる、パワーの秘密が見えてきた。

プロフィール

ぬまべ・まりこ

1960年東京・世田谷生まれ。父は仏教学者の鎌田茂雄、母は薬剤師・薬局経営者。中学時代に歯科医師を志し、日本歯科大学・大学院に学ぶ。大学院時代の先輩である沼部幸博(現日本歯科大学生命歯学部長)と結婚。母校の非常勤講師を経て1995年実家に歯科医院を開業。娘2人を育てながら歯周病の専門医として活躍してきた。週1回母校の非常勤講師としての仕事も続けている。2011年太りすぎ対策としてスロージョグを始めたのをきっかけに、マラソンにのめり込む。2016年トライアスロンに興味を持ち、スプリントの大会に出場してエイジ優勝。2018年KONAチャレンジのフレンドメンバーになり、5月に新島トライアスロンで初めてオリンピックディスタンスを完走。2019年ハワイ島ホヌのアイアンマン70.3で初ミドル完走。今年の夏レギュラーメンバーに。

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Interviewer

山口一真

メイクス取締役/100年コーチ。1982年東京生まれ。小学校から大学までバスケットボールに打ち込む。社会人になってスポーツから遠ざかり、一時期体重が100kgを超えたが、選手時代のノウハウを生かした食事と運動により1年間で40kgの減量に成功。2018年メイクスのKONAチャレンジ担当になったのを期にスイム・バイク・ランのトレーニングを始め、木更津トライアスロンでレースデビュー。秋にはアイアンマン台湾を完走した。以後も毎年アイアンマンや宮古島などに出場を続けている。世界のレジェンド稲田弘さんとの対談をきっかけに、自身もKONA挑戦を表明。チャレンジの模様は下記ブログやインスタグラム、フェイスブックでチェックを。
「100年コーチ。」山口一真のブログ>>https://ameblo.jp/makes100coach

薬剤師の母に厳しく
育てられた少女時代

山口沼部さんとはよくKONAチャレの練習会などでご一緒しますが、こうして仕事場で会うと、いかにも歯科の先生という感じで新鮮ですね。治療室にバイクがセットしてあるところがいかにもトライアスリートらしいですが(笑)。

沼部新型コロナで自粛期間中は、近くにある自宅には夜遅くに帰って寝るだけで、1日のほとんどをここで過ごしていました。バイクのインドアトレーニングもここで(笑)。元々マイペースな歯科医なんです。子育てしながら無理せず楽しんで仕事を続けてきましたから。何かと予定が変わるので、患者さんに相談して予約の日時を変えてもらったりもしてきました。歯周病専門の歯科医は患者さんと長く深く付き合うので、こちらのことも理解してもらえます。

診療所の一角にはトライアスリートらしいコーナーが。今は、「トライアスロンLAB」でオンラインセミナーに積極的に参加している

山口沼部さんの出身はどちらなんですか?

沼部東京・世田谷です。この駒沢のクリニックが元々私の実家だった場所で、開業するとき改築したんです。私の幼少期にはまだこのあたりは田畑が多くてのどかなところでした。母は薬剤師で、この近くで薬局をしていました。父は禅宗の僧侶で仏教学者(中国仏教史の研究や日中仏教交流への貢献などで知られる鎌田茂雄東京大学教授)でした。私は反撥してクリスチャンになりましたが(笑)。

山口幼少期はどんなお子さんでした?

沼部母が教育熱心な人で、3歳からピアノや日本舞踊、英語などいろいろ習い事に通っていました。ただ、スポーツはやりませんでしたね。小学校で上にいくにしたがって、なんとなく私立中学を受験して、良い大学に進むという方向に誘導されていきました。父は研究一筋で、私の教育について何も言わない人でしたから、もっぱら母の影響ですね。いくつか受験校を検討して、女子学院というキリスト教系で中高一貫の女子校に入りました。

マラソンやトライアスロンの賞状やメダルが所狭しと並び、患者さんたちも沼部さんのレース結果を気にかけてくれ、応援してくれている

山口歯科医を目指したのはいつですか?

沼部中学時代です。自分自身虫歯が多くて、いろいろ虫歯になる原因を調べているうちに興味が湧いてきたんです。中3のとき、親に「歯科医になりたい」と話しました。このとき日本舞踊はやめました。歯科医になるのも日本舞踊で上に行くのもお金がかかるので、両方は無理だったんです。今でも日舞は好きですから、トライアスロンができなくなったら再開しようと思っていますが。

歯周病との出会い、
そして結婚、出産、開業

山口中学で歯科医師という目標を決めて、目標どおり歯科大学に進んで歯科医師になったわけですね。

沼部大学で勉強をして、ある程度虫歯のことが分かった頃、今度は歯周病に興味を持ちました。歯周病というのはただ歯茎の病気というだけでなく、身体のいろいろなところと関連していますし、学問的にも細菌学や生化学、病理学など幅広い分野と関わるので、その奥深さ・幅広さに惹かれたんです。

山口大学で出会った歯周病が、今の歯周病専門医としての仕事につながっているわけですから、重要な人生の決断だったということになりますね。

沼部振り返るとそうですね。結婚した相手も同じく歯周病を研究する大学院の先輩でしたし(笑)。

山口大学院を修了して歯科医師になったわけですか?

沼部資格は取りましたが、臨床医ではなく大学の研究員・非常勤講師として働き始めました。28歳で結婚してまもなく夫がアメリカ・サンフランシスコの大学で客員助教授といった感じの職を得たので、一緒に渡米して1年半ほどむこうで暮らし、帰国後また母校の非常勤講師に復職しました。夫はそのまま研究者・教育者としての道を進みましたが、私は1995年、子どもがふたりできた時点でこの歯科クリニックを開業しました。子育てが忙しかったので、1日4時間しか診療しない歯医者でしたけど(笑)。

山口薬剤師をしながら沼部さんを育てられたお母さんと同じ道を歩んだわけですね。

沼部母の影響があったと言えるかもしれません。私も仕事をしながら、娘たちに学校は絶対に休ませず、習い事をさせたり、塾に通わせたりと、教育には厳しい母親でしたね。毎日ふたりに昼と夜2食分の弁当を作って持たせ、1日も休まず学校も塾に通わせました。

長女は1回腹痛で休みましたが、次女は幼稚園から大学卒業までの21年間解禁でした。大学6年間解禁は母娘2世代です。ただ、娘が小学生の頃、一度娘に「学校から帰ったときお母さんにドアを開けてほしい」と言われたことがありました。娘としてはさみしかったんでしょうね。それを聞いて、診療時間を変え、娘を家で迎えてやれるようにしました。

歯科医師として通常勤務をこなしながら、歯科大学の非常勤講師で学生に歯周病の実習指導している

52歳で始めたランニング、
57歳で始めたトライアスロン

山口ここまでスポーツの話が全く出てきませんでしたが、中学・高校の部活とか、運動の経験は?

沼部中高の部活は化学部でしたから、運動とは無関係ですね。大学時代、年に2カ月だけ泳ぐ水泳サークルに入っていたましたが(笑)、運動経験はほぼゼロと言っていいです。今のトライアスロンにつながる運動を始めたのは52歳のとき、運動不足とカロリー過多の食生活で太り気味だったのをなんとかしようと、世田谷区がやっているスロージョグスクールに参加したのがきっかけです。最初は200mで息が上がりましたが、指導してくれる先生に「20分走れるようになったら、距離を伸ばしてフルマラソンまでいける」と言われてやる気になりました。

「1年後フルに出たい!」と思い、少しずつ時間・距離を伸ばして数カ月後に世田谷ハーフマラソンの5㎞の部に出て完走、さらに数カ月後にハーフマラソン完走、そしてさらに数カ月後にアクアラインマラソンでフルを4時間8分で完走。「1年後フルマラソン」を実現できました。

「きちんと走れないランナーでなければ仮装はしない」というポリシーでさまざまな仮装をして沿道を楽しませている

山口ここまでのお話をうかがっていると、受験でも歯科医師という仕事でもマラソンでも、すべて目標を立てたらしっかりやるべきことをやって、確実にクリアしていますよね。そこがすごいと思います。ご家族の反応はどうでした?

沼部最初、夫は「そんなことしてたら死んじゃうんじゃないか」と言いましたが、そこを「1年だけやらせて」と言って押し切りました。1年後「1年たったけど」と言われたので、今度は「4年だけ」と説得して続けた(笑)。

山口そこまでのめり込んだ理由は何ですか?

沼部元々目標を設定して、いろいろ勉強し、工夫しながら自分を高めていくのが好きなんですね。大会に出るようになった時点で、自己流でひとり練習するより経験者と走っていろいろ教わったほうがいいと思い、ランニングサークルに入ったんですが、そこで「3年続いたら10年までいける。そうしたらランニングが生活の一部になって一生運動できるようになる」といった話を聞いて、続けたいと思うようになったんです。

大会に出るようになると、フルでサブ4(4時間切り)とか、年代別何位といった目標でき、大会に出て目標を達成するとうれしくて、それがまた励みになる。トレーニングの距離を伸ばし、トレイルランニングなども取り入れて、マラソン大会にたくさん出るようになりました。

湘南国際マラソンや多摩川ネイチャーマラソン80㎞でエイジ優勝とか成果も出て楽しかったですね。フルの自己ベストは2017年の東京マラソンで仮装して走ったときの3時間18分です。

山口ネイチャーマラソン80㎞ということは、ウルトラマラソンにも出たんですか。

沼部100㎞の大会にも3回出ています。

山口持久力のベースは十分できていたわけですね。そこからトライアスロンを始めたきっかけは何ですか?

沼部マラソンでこれ以上タイムを上げていくためには、インターバルトレーニングなど強度の高い練習をしなければならないというところまで来て、ケガが怖いなと思ったんです。それより何かちがうスポーツに挑戦してみたいということでトライアスロンを始めました。

KONAチャレメンバーとなり、フィードバックや練習会、合宿にも積極的に参加。その頑張る姿が他メンバーの励みにもなっている

山口「何か違うスポーツ」としてトライアスロンを選んだのはなぜですか?

沼部テレビで観ていましたし、ランニングサークルの人たちの中にもトライアスリートがいて、かっこいいなと思っていたからです。ただ、バイクなど素人にはハードルが高く、どうしたらいいか分からないので、ネットで検索して、『トライアスロン・ルミナ』でイチから勉強しました。

2016年の正月、安藤隼人さんの「基礎から始めるファンクショナルバイクスピニング全3回」に参加したのがスタートでしたが、バイクを持ってなくて驚かれました。バイクを買って、江戸川のスプリントに出たのがその年の9月。

2017年にもスプリントの大会に何度か出ましたが、バイクはビンディングなし、走行中ボトルを取れない、DHポジションもとれないというレベルでした。

学ぶことだらけだからやる気が出る
初心者のKONAチャレ

山口2018年春にKONAチャレがスタートしたとき、フレンドメンバーに選ばれましたが、まだスプリントの大会しか経験してなかったんですよね。

沼部すみません。KONAがどんなにすごいのか全く知らずに応募してしまったものですから、「3年後に還暦で宮古島など大きな大会に出られるようになりたい。そのためにKONAチャレで勉強したい」などと、的外れなことを考えていました(笑)。

山口練習会やフィードバックなど熱心に参加されて、貪欲に学びながら着実に成長していく姿が印象的でした。

沼部練習に参加してもひとりだけついていけなくて、皆さんに「また場違いなおばさん来てるよ」と思われてるのは分かっているんですが、いつも何かしら学ぶことができるので、図々しく参加しつづけています。

頭が固いので、理解してイメージできるところまでいくのに時間がかかるんですね。学び方にしても、今まで知識を増やすことばかり考えていましたが、知識だけではだめなんだということがようやく分かってきた。これもひとつの気づきです。

学ぶことで自分が成長してくことが大好き! トライアスロンで新しい刺激や学びがある生活を楽しんでいる

山口計画では昨年までにアイアンマンを完走する予定だったんですよね?

沼部2018年の新島大会で初めてオリンピックディスタンスを完走し、2019年にアイアンマン70.3ホヌでミドルを完走。この年のマレーシアでアイアンマンに挑戦するつもりだったのですが、ほぼ1か月前に左上腕骨粉砕骨折で手術になり出場できず、今年4月に予定していた台湾はコロナで中止。まだロングを完走していないままです。

初ミドルはアイアンマン70.3ホヌ。アイアンマン世界選手権(KONA)と一部同じコースを走る。タイムは7:34:33

山口コロナ禍でモチベーションが維持できず、レギュラーから自発的にはずれるメンバーも出る中、レギュラーメンバーに選ばれました。この状況をどうとらえていますか?

沼部レギュラーメンバーになったからには、ただ自分が強くなっていくだけでなく、トライアスリートの皆さんに情報を発信し、思いを伝えるという使命がありますよね。それが励みになって練習にも熱が入るし、久しぶりにランの50㎞走をやってみようとか、新たな意欲が湧いてきます。

海外のレースがどうなるか見えない状況で、モチベーションが下がりがちな今だからこそ、私は「コロナの夏を制する者が来年を制する」と考えているんです。来年笑うために、自分の課題を一つひとつクリアしてレベルアップしていこうとしています。

山口かっこいいから始めたトライアスロンが、ずいぶん大きなものにふくらんできましたね。

沼部トライアスロンは奥が深いですね。ランニングはただ走る量を増やせば速くなったし、ある程度まぐれもありますが、トライアスロンはまぐれがない。3種目のうちふたつを伸ばしても、3つ目がだめなら全体がだめになる。

バランスが難しい。そこが魅力です。自然の中で身体を動かすのが気持ち良いというのもありますが、海はどこかに怖さもあって、自然に対する畏敬の念が湧いてくる。その厳しさもトライアスロンの魅力かもしれません。

沼部さんの「KONAチャレノート」にはいつもびっしりその日の学びや気付きが記されている

人として女性として歯科医として
成長し続けてきた人生

山口歯科医師として、母として、使命を果たしながら生きてきて、今60歳になろうというときにKONAへチャレンジしようというエネルギーはどこから湧いてくるんでしょう?

沼部どれも自分で選んだことですし、色んなことを学びながら成長できることがモチベーションになっているんでしょうね。そのときやれることを精一杯やってきただけです。振り返れば30代は子育て最優先、40代は少し余裕が出てきたので、歯科医師として貪欲に学び直した10年間でした。

子育てに追われていた間に新しい機器や治療法がどんどん出てきていたので、せっせと勉強会・講習会に出て、ゲノムドクター認定など資格もたくさん取ました。どれも歯科医師として稼ぐためではなく、「知りたい」というのが原動力ですね。

50代の10年はマラソンやトライアスロンなど、自分のためにやりたいことをやるようになりましたが、これも知らないことばかりの新しい世界だから楽しい。

大学の先輩で同じ歯科医師の夫と、娘ふたり。育児・教育には一切手を抜かず、「厳しい母でしたから、娘たちはお母さんの笑顔をなかなか見たことないと思います(笑)」

山口娘さんはもう成人されたんですよね?

沼部長女は結婚して、一昨年孫が生まれました。次女は歯科大に進んで昨年歯科医師になりました。

山口親として歯科医として頑張っているお母さんを見て育ったから、娘さんたちも自然と沼部さんを見習うようになったのかもしれないですね。

沼部母の命令は絶対ですから(笑)、言うことはきいてくれます。長女は宮古島ウルトラワイド―マラソンの20kmに付き合わせて、 次女はサンフランシスコマラソンや東京マラソンに付き合わせて、10㎞など短い部門に全く練習しないで出たりしましたね。

〝おばあちゃん″でもある沼部さん。お孫さんとの時間もとても大切にしている

高齢者の訪問診療など、
これからやりたいことがたくさんある

山口今年還暦を迎えて、これからの人生でやりたいことというのはありますか?

沼部いろいろあります。トライアスロンはもちろんやりたいですし、さっき話に出た日本舞踊もやりたい。どちらもお金がかかりますから、お金次第ですが。

山口トライアスロンを続けるためにはたしかにお金が必要です。私は仕事として「100年心身とも健康に生きる」をテーマに、資産形成のアドバイスをしているんですが、沼部さんの場合はこれから資産づくりをしていくのではなく、すでにお持ちの不動産などの資産を活用すれば老後に余裕のある暮らしができるかもしれません。

沼部幸い身体は生まれつき丈夫なので、お金の都合がつけばトライアスロンは続けていきたいですね。体力的にトライアスロンができなくなったら日本舞踊に再挑戦(笑)。

それから歯科医師としても65歳を過ぎたらやりたいことがあります。それは訪問診療。患者さんの中には高齢でここまで通えなくなっている方がでてきていて、これからますます増えていくことが予想されます。そういう患者さんを訪問して治療したい。歯周病の患者をひとりでも減らすというのが、若い頃からの変わらない目標です。やりたいこと、やり残したことがたくさんあるので、これからもできることを楽しみながらやっていきたいですね。

山口仕事も趣味もやりたいことが盛りだくさんですね。好奇心と向上心がパワーの源だということがよく分かります。

住宅地にある沼部歯科医院は、もともと沼部さんのご実家を改装したもの。「歯医者が苦手な人も多いので、いつも明るくおしゃべりもたくさんして、緊張が解けるようにしています」

沼部仕事をしながら結婚・出産・子育て・更年期など女性としての人生のステージを一通り経験してきたので、そういう経験もふまえて、女性にアドバイスしていくといったことも、私の使命なのかなという気がしています。

山口学びを向上することを楽しむ姿勢だけでなく、女性として歯科医師としてKONAチャレメンバーとしてなど、さまざまな立場や観点から生まれてくる使命感もパワーの源なんですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。

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