2018年、自身通算18回目のKONAで、スタートラインの先を見つめる高橋清悟さん
KONA(アイアンマン世界選手権)に何度も出場しているような強豪エイジグルーパーたちは、いかにして強くなり、長きにわたりその強さを維持しているのだろうか?
KONA常連たちによるトークセッション。第2弾は50歳代の猛者たちが、強く在り続けるために日々考えてきたことなどを語ってくれた。
このトークセッションはトライアスリートの挑戦を応援する“学び”の総合イベント「KONAチャレンジEXPO」(4月28日)で開催されたものです。
プロフィール
大西雅之さん(52歳)
トライアスロン歴26年。太り過ぎ解消のために通い始めたスポーツジムで誘われてトライアスロンを始め、KONA出場9回。KONAアスリートを多数輩出している「TEAM Y」のリーダー的存在。
山内昭夫さん(56歳)
トライアスロン歴30年。KONA出場8回。30代で数回KONAに出た後、40代で一時期タイムが低迷。海外のトレーニングメソッドの研究、オンラインコーチングなどでトレーニングを変え、再びKONAアスリートに復帰。
>>山内さんのトレーニング内容などについては『Triathlon Lumina』2019年4月号にも掲載しています
高橋清悟さん(58歳)
トライアスロン歴32年。KONA出場18回。88〜97年10年連続KONA出場後、12年間レースから離れ2010年から再びKONA出場。最高成績は92年の総合70位。表彰台2回。多くのトライアスリートがリスペクトするレジェンド。
高いモチベーションの維持と
トレーニング継続のために仲間を大切にする。
―皆さんがKONAに出続けるために、トレーニングで一番意識してきたポイント、気をつけてきたことは何ですか?
大西私が一番大切にしているのは、良い仲間との練習を継続することです。互いにリスペクトしながら刺激を与え合い、高いモチベーションをキープすることができます。
―大西さんの場合は「TEAM Y」がそれですね。
大西そうです。元々バイクショップ「Y’s Road」にいた大塚(修孝)さんが作ったチームですが、彼の退職後は残ったメンバーで自主運営しています。メンバーはモチベーションが高く、自分から積極的にレベルの高い練習をしようという意欲のある人たちです。
チームの良い雰囲気、環境があるので、自然とレベルの高いトレーニングが継続でき、その結果、毎年KONAに5〜6人出場しています。
―アイアンマンで強い人は自分が目指すトレーニングを緻密にやるために、基本ひとりで練習をする人が少なくないようですが、「TEAM Y」はよくチームで練習しますね。
大西バイクのスピニングならそれぞれの強度で2時間みっちり練習できますし、スイムも3レーンあればクラス分けしてできます。仲間で練習することで刺激し合えますし、遅い人はお手本を見て「自分もああなりたい」と思い自分を高めることができます。
ただし、ケガをしないことが重要ですから、そのために無理をしないこと、筋トレなどで補強することも重視しています。定期的なマッサージで身体をケアしたり、ヨガのレッスンを受けたりもしています。
自分のキャパシティを把握し
その範囲でトレーニングする。
山内私が意識しているのはまず疲れをためないこと。そのために自分のキャパシティを超える無理はしないこと、そしてしっかり睡眠をとることです。
アイアンマンに出る人は練習量を重視して、週末1日中ヘトヘトになるまで練習して、さらに平日も練習しがちですが、私の経験ではそれで疲れをため込み、練習してるのに結果が出ないということになりがちでした。
バイクならFTP(※1時間維持できるパワーの最高値)計測、スイムやランならタイムトライアルなど、定期的にセルフテストを行い、自分のキャパシティを把握して、トレーニングを組み立てることが大切だと思います。こういうことは海外のトレーニングメソッドを研究し、海外のオンラインコーチングを受けることで、ノウハウを学びました。
―海外のトレーニング方法を研究するようになってから、高強度トレーニングをやるようになったんでしたね?
山内高強度トレーニングをやるときに心がけているのは「あくまでレクリエーション、遊びだ」と考えることです。義務感で我慢してやろうとするとキツくてできません。追い込むときは幽体離脱して、外から自分のアバターが頑張ってるのを眺める感じになりますね。
―山内さんも「ストーンキッズ」というチームに長く所属していますが、どんなチーム練習をしているんですか?
山内ストーンキッズで33年、毎月1回合宿をやっています。実力はまちまちなので時間を決めてそれぞれのペースで練習します。練習のあとの飲み会もモチベーションの維持につながっていますね。
―ほかに大切にしていることは?
山内トライアスロンを続けるためには家族の理解が必要ですから、家事を率先してやるようにしています。それでも文句を言われますが(笑)。
―山内さんがトレーニングを改善してスランプを脱出するきっかけになったのは、今日隣にいらっしゃる高橋清悟さんだという話ですが。
山内9年前、チェジュ大会(韓国)のときに高橋さんとお話しする機会があり、量も質もメンタルもすべてすごいのに驚くと同時に、すごく刺激を受けました。私は高橋さんのトレーニングをそのままやることはとてもできませんが、目的のためにやるべきことを決めて確実に実践していく姿勢を学びましたね。
目標を設定し、計画を立て、地道に継続する
―高橋さんはKONAに出続けるために、どのようなことを意識していますか?
高橋大会、タイム、順位など目標を設定し、それを達成するための計画を立て、地道に実践していくことです。そのためにはモチベーションを保つことが大切です。また、トライアスロンのコミュニティから情報収集することを心がけています。
―高橋さんはトレーニングの量と質がすごいという話ですが。
高橋私がトライアスロンを始めた80年代はトレーニングの理論などもなく、ただ練習量をこなすことだけ考えていました。元々ランニングをやっていたので、月400㎞とにかく走る。朝走るんですが、やる気が出なくても、トレーニングウエアを枕元に置いておき、起きたら有無を言わさず、それを着て走る。
―それができるモチベーションはどこから?
高橋とにかくKONAの素晴らしさに尽きます。最初はKONAという大会を知り、出たいという一心で練習しました。出場したらその素晴らしさに感動し、それがモチベーションになりました。
KONAで過ごす1週間は私にとって夢のような時間なんです。選手のレベルの高さはもちろん、KONAという場所、応援の盛り上がりなどすべてが素晴らしい。ランのトレーニングは毎回最後にKONAでフィニッシュする自分をイメージして走ります。
―トレーニングはひとりでやるんですか? それとも仲間と?
高橋基本的にひとりです。ただ、スイムは元スイマーの知人と週3回4000m泳ぎます。バイクはほぼひとりですが、同じ湘南エリアの知り合いが誘ってくれて、たまに一緒に走ります。
仲間と走るとモチベーションが上がり、ペースも上がるので、強くなると思うんですが、約束の日時を守って、集団で行動するのが苦手なので、ひとりでトレーニングするほうが自分に合っていると思います。
ただ、そうした仲間たちと話すことで、新しい情報が得られ、トレーニングやアイテムなどの選択肢が広がるという利点もあるので、こういうコミュニティは大切にしています。
―88年から10年間KONAに連続出場し、その後12年間ブランクがあって、また復帰していますが、空白期間があった理由は?
高橋最初の10年間はサラリーマンでした。92年にKONAで総合70位になりましたが、自分のピーク、限界も見えてきて、プロになれないこともわかってきた。KONAに出続けることがややマンネリ化してきたことや、10年目の97年を最後に琵琶湖で開催されていたアイアンマン・ジャパンがなくなったこともあって、トライアスロンから離れました。
ちょうどその頃、サラリーマンをやめて自営業(保険代理店)を始めるという人生の転機もあり、そこからしばらく健康のためにランニングする程度の生活が続きました。12年後に復帰したのは、50歳でエイジグループが上がったのがきっかけでした。
―復帰後のトレーニングで以前と変わったことはありますか?
高橋サラリーマン時代より時間の自由度が増したので、バイクの距離が伸びたことですね。サラリーマンのときは週末に100〜150㎞、1回乗るだけでしたが、復帰後は180㎞を週2回できるようになりました。
子どもの頃は短距離走など運動が苦手だった
―オーバー60の皆さんにも同じ質問をしたのですが、一般にKONA常連アスリートは元々ポテンシャルが高いと思われがちですが、皆さんはどうでしょうか?
高橋子どもの頃は運動会が苦手でした。短距離は遅いしジャンプ力もないので、活躍できなかったからです。ただ、長時間走は人よりやや得意でしたから、なんとなく持久力はあると感じていました。
山内私は子どもの頃から文化系でした。大学は将棋をやっていて、県代表になったりしたので、物事を読む力は鍛えられたかもしれません(笑)。
運動を始めたのは社会人になってからです。その頃創刊された雑誌『ターザン』に感化されて、身体を鍛えたらモテるかもと考え、会社の近くにあった区立のスポーツセンターで運動を始めました。トライアスロンを始めたのも『ターザン』の影響です。でも、海パンで自転車に乗る時代でしたから、変人と見られて全然モテなかった(笑)。
大西高橋さんと同じで短距離が遅く、運動は苦手でした。中学校ではバスケットボール部でしたが活躍できませんでした。高校では陸上で長距離をやりましたが、県大会すら行けないレベルでした。
大学時代は麻雀に熱中して、物事を読む力は鍛えられたかも(笑)。
社会人になって大阪に赴任し、毎晩酒を飲んで激太りしたのをきっかけにスポーツクラブに通い出し、そこのメンバーに誘われたのがトライアスロンを始めたきっかけです。
つまり「よくいるタイプ」で、特別に素質があったということはないと思います。