KONAを目指す挑戦者たちのライフストーリー

File.15

鬼鞍肇さん

好きなことはとことんやる。
新しい仲間と見つけたKONAへの道筋

2018年、ITUロングディスタンス世界選手権に出場したときの鬼鞍さん。この年、KONAチャレのフレンドメンバーに選ばれている

KONAチャレでは積極的にメンバーと交流してきたフレンドメンバーの鬼鞍さん。所属する老舗の強豪チームJ- BEATでは、主力メンバーのひとりとしてチーム運営や練習会などのイベントを取り仕切る立場でもある。

人とオープンに接し、面倒を見る人柄は、どのように形成されたのか?

そこには幼少期に始めたスキーや、大学時代に取り組んだイベント制作、基礎スキー指導者としての活動など、多様で豊かな経験があった。

プロフィール

おにくら・はじめ

1967年生まれ。東京・町田在住。3歳から両親の影響でスキーを始め、中学からひとりでスキー場に通うようになる。大学時代は学園祭・イベント制作に携わる。就職後、競技スキーに本格的に取り組み、強豪チームに所属して指導員の資格を取得。競技者として大会に参加しながら、指導者として若手の育成に貢献。40歳を過ぎてロードバイクに本腰を入れ、バイク強化のため加入したチームJ-BEATでトライアスロンに目覚める。2013・14年トライアスロン宮古島大会出場。2017年五島長崎国際トライアスロンBタイプでITUロングディスタンス世界選手権の出場資格を獲得。翌2018年世界選手権出場。この年KONAチャレ・フレンドメンバーに選ばれる。

主な成績

2017年 五島長崎国際トライアスロンBタイプ6時間44分
     佐渡国際トライアスロンAタイプ12時間59分
2019年 アイアンマン台湾 13時間10分
     アイアンマン70.3セントレア5時間24分

Interviewer

山口一真

1982年東京生まれ。小学校から大学までバスケットボールに打ち込む。社会人になってスポーツから遠ざかり、一時期体重が100kgを超えたが、選手時代のノウハウを活かした食事と運動により1年間で40kgの減量に成功。2018年メイクスのKONAチャレ担当になったのを期にスイム・バイク・ランのトレーニングを始め、木更津トライアスロンでレースデビュー。秋にはアイアンマン台湾を完走した。以後も毎年アイアンマンや宮古島などに出場を続けている。

応援されるから、
自分も仲間を応援する

山口KONAチャレを通じて感じていたんですが、鬼鞍さんは仲間を応援してくれる人ですよね。自分が頑張るだけでなく、メンバーの仲間をサポートする。しかもすごく自然な感じで。

私は最初運営側としてKONAチャレに関わり、中途半端はいやなので自分でもトライアスロンを始め、KONAめざして頑張っていますが、鬼鞍さんの存在が心強く、励みにもなっています。

そのやさしさ、人を応援する人柄はどこから生まれたものなんでしょうか?

鬼鞍あまり意識したことはないですが、チームでずっとそういう立場でやってきたというのがあるかもしれないですね。所属しているチームJ-BEATでは、KONAに出るメンバーをサポートするために一緒にトレーニングしたりといったことを、ごく当たり前にやっていますから。

所属するチームJ-BEATでは、自身のトレーニングだけでなく、メンバーのサポート役としても活躍する鬼鞍さん(写真左端)

山口そもそもJ-BEATに入ったのは、ロードバイクのためだったとか?

鬼鞍そうです。その前は競技スキーをやっていたんですが、40歳を過ぎて選手として限界を感じるようになったので、新しいことをやろうとロードバイクを新しく買ってヒルクライムレースに出るようになったんです。

元々、スキーの選手はシーズンオフの体力維持のためにロードバイクに乗ることが多くて、私も学生時代から乗ってはいたんですが、好きなことはなんでもとことんやるB型なので、競技としてやるからには後戻りできないように思い切り高いバイクを買いました。

大会に出るようになると、やはりチームに入ってガチで練習しないとだめだと思い、J-BEATに入ったんです。

山口鬼鞍さんの人格のキーポイントはB型ですか(笑)。とことんやりたいタイプなんですね。そこからトライアスロンにのめり込んでいった?

鬼鞍トライアスロンをやるにあたって、目標を設定したんです。トライアスロンはお金もかかるし、家族の理解も必要ですから、ダラダラいい加減には続けられない。はっきり目標設定してクリアしていこうと。

J-BEATに入ったとき、(ITUロングディスタンス・トライアスロン)世界選手権に出ている人が何人かいて、「かっこいい!」と思ったので、「自分も5年以内に出る」というのを目標にして練習を始めました。すると、世界選手権に出ている人たちが応援してくれたり、トレーニング方法を教えてくれたりするんです。これが有り難かった。

それで自分も仲間をサポートすることで、もらったものを返すようになり、またその人が別の人に返すということを繰り返してきました。こうして仲間がお互いにサポートしあうというのが、自然と身についたのかもしれません。

山口目標を明確にして真剣に取り組むと、先輩たちも応援したくなるんでしょうね。

チームを主宰する山本光宏さんや、同じく国内プロ第1号の中山俊行さんらそうそうたる顔がそろったJ-BEATの20周年記念パーティーで。最前列左端が鬼鞍さん

鬼鞍結局6年かかりましたけど、2017年五島国際トライアスロンのBタイプで世界選手権出場資格を獲得して、翌年デンマークの大会に出ました。

最初の目標を達成したので、次はKONAをめざすことにした。ちょうどそのときKONAチャレの募集があって、タイムリーだったんですが、チーム内でもKONAに出る女性の仲間がいて、その人をトレーニングパートナーとしてサポートしたりしながら、自分もKONAをめざすトレーニングをするようになりました。

山口スキーのときもそんな感じで目標を決めてステップアップしていったんですか?

鬼鞍そうです。まず2級・1級と級をとって、そこから準指導員・指導員・テクニカル(技術指導者)など指導者の資格をとっていく。大会も草大会から東京都選手権に出るようになるといった感じで上がっていきますね。

そこでもチームメンバーがサポートしてくれるし、自分も指導者の資格をとったら、今度は新しく入ってくる学生を教えたりする。そういう体質が染みついていますね。

山口鬼鞍さんはKONAチャレの合宿でも、ケガしている人に知見を提供したり、情報発信していましたよね。自然な感じでやっていたので、ずっとそういうスタンスでやってきたんだろうなと感じていました。

ご両親の影響もあり3歳のときに始めたスキーは、東京都選手権などにも出場していたほどの腕前

スキーのおかげで身についた
行動力・コミュニケーション力

山口スキーの前は、何をやっていたんですか?

鬼鞍スキーを始めたのは3歳からですから、長いんです。物心つく前から両親に連れられて行っていた。

山口出身は雪国じゃないですよね? ご両親は競技スキーの選手だったんですか?

鬼鞍いや、父は1級、母は2級ですから、普通の人としてはちゃんとやっているというくらいのレベルです。その頃、何を教わったかはもう覚えてませんけど(笑)。

山口スキーをやる環境を提供してくれたわけですね。

鬼鞍スキーがやりたくて、中学からはひとりでゲレンデに通っていましたね。新潟の赤倉(日本のスキー発祥の地と言われ、歴史あるスキー場がある)に父が務めていた会社の保養所があったので、そこなら安心だろうということで、ひとりで列車に乗って、泊まりがけで通っていました。

中学時代はL特急というのに乗って、高校からは夜行に乗ってひとり旅。ゲレンデでは「やっぱり地元の子はうまいね」とか言われたりしていた(笑)。

山口行動力ありますね 中学だと普通は親と一緒じゃないと心細いと思いますが。

鬼鞍それだけスキーをやりたかったんですね。電車に乗っていくと色んな人と話すし、交渉事もあります。ゲレンデでは大人に混じってひとりでレストハウスに入ったりするのも、中学生としては、ちょっと冒険でした。宿泊先では父の勤務先の人たちと接していい勉強になりました。独り立ちできる良い環境だったのかも。

山口中学生に、ひとり旅を許すご両親もすごいですね。

鬼鞍親は「警察に捕まるようなことしなければ何をしてもいい」という放任主義で、なんでもやらせてくれました。スキーのほかにスケートや野球もやっていて、小学校時代に自分のスケート靴を持っていた。

山口経済的な負担が大変そうですね。

鬼鞍スポーツにはお金を出してくれましたね。その代わりテレビゲームなどはまったく持ったことがなかったですが。

リモート取材に応じる鬼鞍さんの背後には、ロング世界戦に出場したときの日本代表ユニフォームが

イベントビジネスに
熱中した大学時代

山口中学からひとりで新潟に通って大人たちと接していたら、行動力とかコミュニケーション力が身についたでしょうね。競技としてのレベルはどうだったんですか?

鬼鞍中高は特に大会に出るわけでもなく、ひたすら好きで滑っているだけでした。大学時代は学園祭の実行委員になってイベント制作にのめり込んでいたので、スキーは趣味程度でしたね。

大手広告代理店と組んで企業スポンサーをいくつも獲得してイベントを企画制作したり、コンサートを開催したりしていた。

山口すごい行動力・交渉力ですね。中高で独り立ちしている子は強いのかな。特に思い出に残っているイベントはありますか?

鬼鞍カセットテープのメーカーのロゴを入れた10m×15mの大きな垂れ幕を作って大学の壁面に垂らしたことがあるんです。1m×10mの布を買って家のミシンで縫って、自分たちで文字を描いた。

イベントの企画はウルトラクイズみたいなもので、最後に司会が「答えはあれだ!」と校舎を指さし、全員が注目するタイミングで屋上から垂れ幕を落とした。

山口企画がうまいですね。スポンサーも喜んだでしょう。何人くらい集まったんですか?

鬼鞍クイズの参加者が数百人。賞金も出したので盛り上がりました。メーカーからカセットテープが何千本も贈られてきて、下宿している仲間の部屋に敷き詰めたら、床が何㎝か高くなった。そいつはその上でしばらく生活していました(笑)。

イベント、結婚式の2次会の幹事、司会などもこなしていた社会人になりたての頃の鬼鞍さん

山口そういう活動をやっていると、就活に有利ですよね。

鬼鞍大手広告代理店の人から誘われたことがありました。薬学系の研究をめざして大学院に行こうと思っていたので断りましたけど、行ってたら、人生変わってたかもしれないですね。

山口学生時代からビジネスしていたわけだから、広告業界でも活躍できたかも。

鬼鞍学園祭をやっていたのは1990年頃の話ですが、(当時では珍しい)携帯電話を使ってましたからね。ちょうど受話器のついた重いショルダー式から、軽い一体型になった頃で、すごく高かったんですが、学園祭実行委員会の費用で落としていた。

イベントで数百万とかそれなりの資金を持ってきていたので、何とも思わず好き勝手なことをやってました(笑)。学園祭のコンサートは学校がお金を出してくれて、森高千里とかハードロックバンドのSHOW-YAとか有名アーティストを呼んで、ギャラをたっぷり払っていた。夜に打ち合わせをやった後、タクシーで帰ったり。良い時代でした。

社会人になって
競技スキーに本格参戦

山口薬学系の大学院を卒業して就職してから競技スキーを始めたんですか?

鬼鞍医薬メーカーに入って、研究所で働き出したんですが、たまたま会社にスキー部があったので入部したんです。

山口それまではチーム経験がなくて、社会人になって初めて部活を経験した?

鬼鞍中学時代はバスケ部だったり、学校の部活はスキーと別にやっていたので、クラブに入ることに抵抗はなかったですね。そのときも「会社にスキー部があるなら入ってみようかな」くらいの気持ちで入部しました。

入ってみたらけっこう競技系で、ポールを立ててその間をぬって滑降するジャイアントスラローム(大回転)というのを始めた。

スキー大回転の大会に出場していたときの鬼鞍さん

山口素人がやったらケガするやつですね。怖くなかったですか?

鬼鞍怖くはなかったです。おかげで動体視力がよくなって、今でもバイクの下りは得意です。

山口大回転のコースって、どこにあるんですか?

鬼鞍会社のスキー部で普通のスキー場のゲレンデを1日数万とかで借りて、自分たちでポールを立てて、コーチを呼んで練習するんです。草大会に出場するようになりましたが、レベルとしてはまだまだでしたね。

スキー検定の1級を取ってから、それより上に行こうとすると、都道府県の連盟に加盟しているチームに入らないといけないので、そういうクラブチームに入り、そこから競技スキーを本格的にやり始めた。

山口やはりやりだしたらとことんやるんですね。そのクラブチームは強いんですか?

鬼鞍東京では強いほうで、都の大会で優勝したり、全日本選手権に選手を出したりしています。私もそこで準指導員・指導員やテクニカルという資格を取りながら、大会に出場していました、指導者になってからは後輩の指導をしたり、スキー検定の検定員も務めるようになりました。

スキーでも、プレーヤーとしてだけでなくインストラクター、検定員として後進の指導やサポートにあたっている

山口いつ頃までそこで活動していたんですか?

鬼鞍今も所属しています。検定員ができる人はなかなかいないので、辞めさせてくれないんです。宮古島に出るために冬場にスキーをお休みしてトライアスロンの練習をしていたら、「いつ帰ってくる?」とクラブからしつこく連絡が来ました(笑)。

ロードの選手になるつもりが
トライアスリートになった理由

山口スキーに選手として限界を感じてロードバイクを競技としてやろうと思ったとき、なぜロードのチームではなくトライアスロンチームのJ-BEATに入ったんですか?

鬼鞍自分が住んでる多磨エリアでロードの練習ができるチームを検索したらJ-BEATが出てきたんです。トライアスロンのチームだけど、バイクの練習会をやってるというのでいいかなと思い、電話したら代表の山本(光宏)さんが一度練習会においでというので参加してみた。

山口山本光宏さんがトライアスロンのレジェンド・アスリートだということは知らなかった?

鬼鞍J-BEATが山本さんのチームだというのは、話してみて知りました。でも、学生時代に雑誌の『ターザン』で山本さんがアスリートを指導者している企画を見ていて、存在は知っていたんです。その記事で「トライアスロンて面白い」と思って、遊びでロードバイクにDHバーつけて走ったりしたこともありました。

たまたま見つけた地元のチームJ-BEATがKONAでも活躍した日本のプロ第1号で現TOTO陸上競技部監督の山本光宏さん(写真左から3番目)だった

山口J-BEATで練習しているうちに、ロードではなくトライアスロンにはまっていった?

鬼鞍バイクの練習だけ参加しようと思っていたんですが、山本さんが許してくれず、「走れ、泳げ」と(笑)。チームの中も和気あいあいとしたいい雰囲気で、完走目的の人もガチでやってる人も仲良く一緒に練習してる。

最初に話したように、世界選手権に出てるような人たちが色々教えてくれるし、バイクの練習で速い人たちについていけずちぎれてしまうと、先に行っていた人たちが戻ってきて一緒に走ってくれたりするんです。そういう人たちを見て「カッコいい!」と思っていたら、自然とトライアスロンをやるようになった。

鬼鞍さんが刺激を受け、ときに励まされたというチームの先輩おふたり(左・佐藤周平さん、右・寺田香織さん)。ともにKONAや世界選手権出場経験をもつベテラン

KONAチャレで得たのは
人のつながりとKONAへの道筋

山口そこから目標設定して、6年後に世界選手権への出場権を獲得したわけですね。目標を達成してからモチベーションやパフォーマンスが落ちたりしたことはなかった?

鬼鞍パフォーマンスの上がったり下がったりはあっても、モチベーションが切れたことはないですね。チームにもKONAに出ている人がいて自然と「次はKONAをめざそう」という気持ちになりました。

竹谷(賢二)さんとも以前から知り合いで、彼がKONAに挑戦するのを見ていたましたしね。

しかし、KONAは世界選手権よりはるかにハードルが高い。そんなとき、ちょうどKONAチャレが始まるというので応募したんです。タイミングに恵まれていますね。

山口KONAチャレの応募に迷いはなかったですか?

鬼鞍ありました。ハードルは高いし、自分なんかが応募して選ばれるかどうかわからない。でも、出す分にはいいだろう。選ばれたらどこまでやれるかわからないけど、KONAという目標に向かって背中押してもらえるだろうと思って応募しました。

山口J-BEATにいるだけでもKONAをめざせるのでは?

鬼鞍いや、正直なところ世界選手権は出られてもKONAは厳しいですね。KONAチャレで自分がどこまでやれるか見てみたかったし、そこで得たノウハウをチームにフィードバックできるという思いもありました。

フィードバックMTGでKONAチャレの仲間たちと(鬼鞍さんは写真中段・右から2番目)

山口KONAチャレでメンバーたちと時間を共有してみて、何を得ましたか?

鬼鞍フレンドだったので、フィードバックを受けることもなかったんですが、その分レギュラーメンバーの取り組みを自由な視点で見ることができたと思います。

自分を見つめ直すいい時間でもありました。自分のレベルはどのあたりで、練習はどうなんだろう、何をやったらKONAに行けるのかといったことを冷静に考えることができました。

たとえばバイクは3種目で一番自信があったのに、KONAに行くには全然足りないということがわかった。

山口鬼鞍さんを見ていると、今後何年かでKONAに出るだろうなという気がします。KONAチャレでメンバーたちに良い影響を与えながら、自分も色々なものを吸収している。

鬼鞍人とのつながりが広がったのもこの3年間の収穫ですね。フレンドだけどレギュラーメンバーとも仲よくなり、色々情報交換できたし、KONAチャレメンバー以外のいろんな人ともつながりできました。

2019年のアイアンマン台湾で優勝した神谷泰平さんとツイッターでつながって練習内容を見たりして、すでにKONAに出ている人たちがどんなことをやっているか知ることができるようになった。

これを生かして次の5年で結果を出せればいいかなと、今考えています。つまり、KONAチャレの3年はKONAに行くためのトレーニングができる人になるための期間だった。おかげでKONAをたぐり寄せる道筋が見えてきました。

山口鬼鞍さんは関わり方がいいから人が集まるんでしょうね。

鬼鞍KONAチャレはそういう人ばかりだから協調できたし、みんなで高めあえた。岡田健士朗くんも、東度久美さんも、そういう中でKONAがとれたんだと思います。

2019年のアイアンマン台湾では、ともに出場したKONAチャレメンバー、東度久美さん(写真左)、岡田健士朗さん(同右)、がKONAへの出場権を獲得する姿を目の当たりにした

コロナ禍がくれた時間を生かして
トレーニングを充実

山口コロナでレースがない状況ですが、メンタルは大丈夫ですか?

鬼鞍自分には非常にすごくいい時間ですね。コロナ禍がなかったら、今頃は「あと何カ月でここまでパフォーマンスを上げなければ・・・」と焦っていたでしょう。

コロナのおかげで1年の余裕が生まれて、「この機会に3カ月をバイク、もう3か月をスイムにかけてみよう」といったことができた。あとまだ半年以上あるので、もっと上げられると思います。

山口アイアンマンというのは長期的な取り組みが必要ですから、そういう人に向いているんですね。

鬼鞍おそらくレースが再開されたら、レベル差がすごく出ると思います。この期間にしっかりやった人はパフォーマンスを上げていて、やらなかった人はすごく落ちてるはずです。そう考えるとやらざるをえない。

山口エイジで新しい人が台頭してくるかもしれませんしね。コロナで時間がとれるようになった人が増えていますから、これまで時間がとれなかった人の中から、パフォーマンスを大きく上げた人が出てくる可能性があります。

鬼鞍時間をどれだけうまく使うかですね。今、スイムもスクールや色々なコーチの指導を受けて、スキルをイチから見直しているんですが、レースにかけるお金をレッスンにかけられるのがありがたいです。

山口鬼鞍さんは筋トレもすごい爆発的なパワーを出すようなトレーニングをしているという噂ですが。

鬼鞍元競輪選手がやってるパーソナルジムでトレーニングしています。5秒とか10秒とか負荷をガッと上げて筋力つけ、それを長い時間使えるように馴らしていくといったトレーニングです。

山口インターバルトレーニング?

鬼鞍そうです。おかげでバイクのパワーは2019年に出たアイアンマン台湾の頃からFTP(※1時間出力し続けられるパワー)で30W上がっています。

山口FTPで30Wアップはすごい。

元競輪選手が運営するパーソナルジムでのトレーニングでは、瞬発的に発揮できるパワーの天井を上げていくような激しいメニューにも積極的に取り組んでいる

鬼鞍そのジムで最初に言われたのは「フィジカルが足りない。特に下半身の力が全然足りない」ということでした。たしかにウエイト持ってスクワットしてからワットバイクでテストしてみたら、パワーがかなり低かったんです。

そのジムにはトライアスリートやデュアスリートから競輪選手になろうという人たちも来ているんですが、「もっと早くからこういうトレーニングやっていればよかった」と言っている。アイアンマン台湾で優勝した神谷泰平さんもかなり筋トレをやっているとのことです。

山口そういえば(同じくKONAチャレメンバーの)小濱(靖典)さんも筋トレを取り入れて、バイクのFTP計測で大幅アップしたとのことです。

鬼鞍最初はただバイクに乗れば速くなると思っていたんですが、バイクというのはペダルにどれだけ荷重をかけられるかという筋力の部分に技術が加わってパフォーマンスになるわけですから、

ペダルをこいでいるだけではやはり頭打ちになる。そういう意味で補強トレーニングとして筋トレを入れていくというのはアリだと思います。

KONAに出たら
次は出続けることをめざす

山口もしKONAに出られたら、その先は何をトライアスロンに求めますか?

鬼鞍たぶんKONAを狙い続けるでしょうね。行ってる人はみんな「あそこは何回行ってもいい。他の大会と違う」と言いますから。 

山口人生でいろんなもの突き詰めてきた鬼鞍さんのような人が、KONAにそういうことを思えるというのはすばらしいですね。

鬼鞍実際にKONAに出たら、今はまだ見えてない何かが見えてくるかもしれません。世界選手権のときも、出てみたらその先にKONAへのチャレンジというのが見えてきた。KONAはさらにハードルが上がるから、それ以上の感動があるだろうし、見えてくるものも違うのではと思います。

その人柄から、ほかのKONAチャレメンバーらからも兄貴分のように慕われる「オニさん」こと鬼鞍さん。意識の高い仲間たちとの交流から「KONAへの道筋」が見えてきた3年間だったと語る

山口稲田(弘)さんのように80代でもKONAに出続ける人がいるわけですから、先はまだまだあるんでしょうね。

稲田さんがKONAのゴール間に合わず、手前で倒れて泣いている動画を今でもたまに見るんですが、そのたびに勇気をもらいます。

鬼鞍それでもまたチャレンジしてゴールするんだから、きっとそれだけのものがあそこにあるんでしょうね。

山口今日は楽しいお話をありがとうございました。

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