KONAを目指す挑戦者たちのライフストーリー

File.14

巽朱央さん

好きなことだけやってきた私が、
運動経験ゼロからKONAを目指した理由。

KONAチャレメンバーの中でも陽気で自由闊達な巽さん。ロンドンでファッションデザインを学び、帰国後日本のファッションブランドを経て、現在はパールイズミのアパレル部門で活躍している。

30歳でジョギングを始めるまで運動経験はほぼゼロだったという彼女が、なぜトライアスロンの頂点に位置するKONAをめざすようになったのか?

そこには自分のやりたいことを納得いくまでやるという、人生全体を貫く姿勢があった。

プロフィール

©Masaru Furuya

たつみ・あけお

1980年大阪生まれ。母親の影響で子供の頃から縫い物・編み物などに親しみ、ファッションデザイナーをめざす。服飾系短大を経て20歳から約5年間ロンドンに留学し、ファッションデザインを学ぶ。帰国後ファッションブランドでパタンナーとして活躍。30歳から健康ジョギングを始め、マラソンに出場。マラソンの記録を伸ばすためトライアスロンに挑戦。ロングの魅力にはまり、宮古島、佐渡トライアスロンなどに出場。仕事ではいくつかのアパレル企業を経て、スポーツアパレルに興味を抱き、2014年パールイズミ入社。KONAチャレのユニフォームも手がけている。

>>MORE PROFILE

Interviewer

山口一真

1982年東京生まれ。小学校から大学までバスケットボールに打ち込む。社会人になってスポーツから遠ざかり、一時期体重が100kgを超えたが、選手時代のノウハウを活かした食事と運動により1年間で40kgの減量に成功。2018年メイクスのKONAチャレ担当になったのを期にスイム・バイク・ランのトレーニングを始め、木更津トライアスロンでレースデビュー。秋にはアイアンマン台湾を完走した。以後も毎年アイアンマンや宮古島などに出場を続けている。

トライアスロンが何なのか
知らなかった

山口巽さんがKONAチャレ応募したきっかけは何だったんですか?

ロングで宮古島と佐渡に出て、割と良い順位だったんですが、アイアンマンはセントレアのみだったので、ロングのアイアンマンに出たい、がんばってトレーニング積んで強くなればKONA行けるんじゃないかと思ったんです。

山口そもそもなぜトライアスロンをやろうと?

話が長くなりますよ(笑)。元々まったく運動してなかったんです。30歳になって、まわりの人たちに「このままだと体力落ちていくよ」と言われ、「健康のために何かしないと」と思った。でも、球技とか誰かとやるスポーツは運動神経ないからできない。それならとりあえず走ってみるかということで、走り始めたんです。

続けないと意味ないので、定期的に走っていて、マラソンにも出るようになり、3〜4年くらいでフルマラソンのタイム3時間20分台で走れるようになった。

そこからさらに速くなるにはどうしたらいいか考えていたら、友達に「トライアスロンやってみなよ」と言われたんです。そのときトライアスロンが何か知らなかったので、ググってみたら、泳いで自転車乗って走るんだとわかった。(笑)

山口トライアスロンという言葉すら知らなかったんですか?(笑)

スポーツにまったく興味なかったし、観戦も好きじゃない。オリンピックも観ないので、もしかしたらトライアスロンという言葉は聞いたことあったかもしれないけど、それが何なのか全く知らなかった。

調べたら距離が色々あるらしいし、小学校時代スイミングスクール行ってたから、たぶん泳げるし、クロスバイク通勤してたから自転車乗れるし、ランニングしてたから走れる。短いやつなら行けるんじゃないかと。

山口すごい。そんな人が今トライアスロンのロングで、世界最高峰をめざしてるんですか。(笑)

©Kenta Onoguchi

「イエス」と言える人は
人生を豊かにできる

山口ランニングもトライアスロンも、人に勧められて始めてますけど、受け身で意志決定するタイプですか?

いや、そういうわけじゃない。自分で「やりたい」「やる!」と決めてからやるタイプです。トライアスロンを始めたときも、マラソンであるところまで行って、次どうしたらいいかと考えて友達に相談したけど、アドバイスされたトライアスロンは自分が前に進むためにいい選択だと思って始めた。

山口次のステージを求めてた?

そうですね。マラソンはあとそんなにタイム縮められないだろうし、ウルトラマラソンもやってみたかったけど、ほかに横展開できるなら、試しに幅広げてトライアスロンやってみてもいいかなと思ったんです。

山口新しい世界に飛び込める勇気を持ってる人なんですね。

それはあるかも。

山口人の勧めに対してノーと言う人とイエスと言える人では、人生が大きくちがうと思うんです。

メイクスの企業理念の中に「3つの価値観」というのがあって、そこに「まずはYES!」「提案します」というのがあるんです。何か無理難題を言われたとき、「無理」と言わず、「やります」と答えて、どうしたらできるかを考える。できないなら代替案を出す。そこでノーと言ったらそれで終わりですが、イエスと答える人にはチャンスが広がる。

いやなこと、納得できないことは
やらない性格

山口KONAチャレメンバーでも巽さんは前向きで明るくて、まわりにパワー与えてくれる存在です。そういう人だからきっと人生で「イエス!」と答えることが多いんじゃないかと思うんですが、今まで「イエス!」と言わなかったことはありますか?

DHバーですかね。フィードバックのたびに竹谷さんに付けろとずっと言われたけど断ってました。「DHバーなしでKONA行く!」と。(笑)

山口DHバーで何か危険を感じたとか、事故があったからですか?

事故ったことはないけど、ぐらつきますね。横風にハンドルとられたりするのも怖い。相当ビビリなので、他の人はそうでもないことでもビビってしまうんです。

結局つけたけどいまだに怖い。去年からバイクはもっぱらインドアでトレーニングするようになって、ロードバイクでずっと練習していたので、秋に久々大阪城トライアスロンでDHバーつけたらやっぱり怖かった。

山口それでもつけようと思ったのはKONAへの思いからですか?

KONAチャレの前に初めて佐渡Bに出たとき1回付けたことがあったんです。でも怖くてほとんど使えず、「もういらないわ!」と思った。それからずっとはずして乗ってました。なくても早い順位でゴールしてるし、つけたら怖くてかえって遅くなるから、なくてもいいんじゃないかと。

KONAチャレが始まった2018年の宮古島大会。もちろん、まだDHバーは付けていない ©Kenta Onoguchi

山口KONAチャレがスタートして、TKには「トライアスロンの常識はちがう。何言ってるんだ!」と言われてましたね。

それで、結局またつけるようになったけど、人より使う時間は少ないですね。それでも使える場面はあるので、使えるところで速く走れるならそれもいいかと思い、選択肢としてつけている。

小学校時代に決めた
ファッションの道とロンドン留学

山口「イエス!」を選択する巽さんのポジティブな性格が、どこでどう形成されたのか興味あるんですが、何かきっかけがあったんですか? それとも元々そういう人だった?

「イエス!」と答えるというより、やりたいと思ったことをやる。したいこと選んで生きてきた。やりたくないことはやらなくていいと思っているんです。

山口自分でやりたいことを決めるようになったのはいつ頃ですか?

子どもの頃から何でも自分で決めていましたね。

山口それはご両親の影響?

それはあるかも。父は自営業で、自分の好きなことやって生きていたし、母は専業主婦だけど、「したいことしなよ」と言っていました。

山口たとえば小学生のとき何を決めたんですか?

ファッションデザイナーになりたい。ロンドンに留学したい。(笑)

山口そんなに早くから決めてたんですね。きっかけは何だったんですか? 

元々縫い物が好きだったんです。母や祖母がやってる裁縫や刺繍、編み物なんかを見て、見よう見まねでやるようになり、将来は服を作りたいと思うようになった。

山口ファッションを勉強するにも色々な道があると思うんですが、なぜロンドンだったんですか?

小学生のとき母と伯母と私と私の姉の4人でロンドンに旅行したんです。そこでカルチャーショックを受けた。そのときはもう「将来ファッションデザイナーになりたい」と思ってたので、「ロンドンに海外留学したい!」と。

山口ロンドンの何に惹かれたんですか?

街や言葉などすべてです。いろんな国の人たちが住んでるのも新鮮だったし。

ファッションデザイナーを志し、ロンドンに留学。写真は5年間通った服飾の学校の学生証

正解のないファッションデザインの難しさ

山口高校を卒業してロンドンに留学したんですか?

日本で服飾系短大に2年行って、ロンドンで服飾の学校に5年通いました。ジョン・ガリアーノというデザイナーが好きで、彼が卒業した学校に行きたかったんですが、そこは倍率がすごすぎたので、その姉妹校でもうすこし商業寄りの服飾学校に入りました。

山口ロンドン留学で苦労したことは?

最初は英語を覚えるのに必死でした。日本でちょっと英会話勉強して行ったんですが、まともに話せなくて、最初の1年は英語のクラスで語学を学びながら服飾の勉強をしていた。そのときは寮に入って、いろんな国の人たちと生活していたんですが、話せないので、彼らに対しては寡黙でしたね。(笑)

山口服の勉強で苦労したことはなかったですか?

毎回課題を提出するんですけど、デザインができなくて苦労しました。デザインて、答えがない。何が正解なのかわからない。悩んで悩んで描いて、納得がいかず、えんえん決まらない。期限に迫られてしかたなく提出していましたが、自分で納得がいくものはごくたまにしかできない。それが一番苦しかったです。

山口夢にまっすぐ、一貫してますね。人生で挫折とかはなかったですか?

帰国して小さな会社に入ったんですが、そこにはデザイナーアシスタントの空きがなくて、パタンナーアシスタントとして採用されたんです。

ロンドンで納得いくデザインができなくて苦労していたし、デザイナーになりたいならたまにいいものが描けるのではなく、いつもできないとダメだと感じていたので、まずはパタンナーからスタートして、デザイナーアシスタントが辞めたら移してもらおうと思っていました。

山口パタンナーというのはデザイナーとどうちがうんですか?

デザイナーは服のイメージを絵に描いて、パタンナーがそれを布とか素材の型に落とし込むために設計図を引くんです。

私が採用された会社のブランドは立体裁断が特徴で、マネキンに布を当てて立体で製図するんですが、パタンナーがいないとデザイナーは服が作れないというくらいで、パタンナーの発言権がかなり大きかったんです。

デザイナーもパワーある人だったけど、パタンナーもすごい人たちでした。特にフリーの外注パタンナーにすごい人がいて、その人を見ているうちに「私、パタンナーになりたいかも」と思った。

これもロンドン留学時、卒業制作で作ったドレスでヘアメイクアーティストと路上パフォーマンスしたときの巽さん

パタンナーに見出した
プロフェッショナルとしての道

山口そのフリーのパタンナーはどういうところがすごかったんですか?

かなり経験が豊富な熟練者だったんですけど、とにかく技術がすごかった。線一本引いてもきれいだし、何より自分の作ったものに誇り持っていました。ちょっと試しに作る服でも、雑に扱うと怒られる。そういう仕事に対する姿勢を尊敬していました。

山口パタンナーという仕事はやってみたら、デザインとはまたちがう魅力があった?

デザインはデザインでやりがいがあるけど、バターンも悩みながら線を引いて、服ができたとき「こうなるんだ!」という喜びがある。いいもの引けたらきれいな形になるし、失敗したらすぐ形に出る。そこがデザインよりわかりやすくて、自分に合ってると感じました。

それで「パタンナーでいこう」と決め、その後デザイナーアシスタントのポジションがあいたときも行かなかった。

山口そこでまたひとつの選択、決断があったんですね。

パタンナーとして引くのは、私のデザインじゃないし、嫌いなデザインで、納得いかなくても、そのデザインを生かすパターンを引けばいい。そこにデザインとはちがう納得のしかたがあるんです。

山口巽さんの、自分のパターンで服に価値を持たせるという姿勢、プロとしてかっこいいと思います。

ありがとうございます。(笑)

激務で体調を崩して転職

山口その会社にはどのくらいいたんですか?

3年です。28歳くらいのときに辞めて、東京コレクションに出ている会社にパタンナーで入って1年くらい在籍しました。

山口転職の理由は?

身体を壊したんです。すごく忙しくて、徹夜・泊まりあたりまえだったから。

山口身体壊したら続けられないですよね。辞めてどれくらい休養したんですか? 

数カ月休んで次の会社に移りました。そこはそこまで激務じゃなかったですが、1年で辞めました。大手のアパレルも経験してみたかったので、百貨店にもたくさん出店していて社員何千人、店舗スタッフも入れたら何万人という会社に移ったんです。そこは3年いましたね。それから今のパールイズミに移った。

山口そのときの転職動機は?

その頃、運動を始めていて、スポーツに関わる仕事がしたいと思いだしたからです。でも、スポーツブランドはデザインやっていてもパターンは中国だったり、海外のスポーツブランドはそもそも日本で作っていなかったりで、なかなかチャンスがなかった。

最初に勤めた会社で、夜中に同僚の誕生日パーティー。仕事にやりがいはあったものの、徹夜・泊まり込みあたりまえの激務が続いた

そんなとき自転車雑誌のSNSにパールイズミの募集を見つけたんです。まだ始めたばかりだけど一応トライアスロンやってるし、自転車乗ってるし 履歴書送ってみるかと。

スポーツウエアは経験なかったから、履歴書ではじかれるかと思ったけど、体力とかトライアスロンのことをアピールしたら合格した。(笑)

努力の結果が数字に表れる
はまったマラソン

山口健康ジョギングから始めてマラソンを本格的にやりだし、3時間20分切るところまでいき、トライアスロンにつながっている。そこまでスポーツにはまったのには、何があったんでしょうか?

決めたことは本格的にやりたい性格なんです。まず、ランニング歴約半年で10㎞の大会に出たら、タイムが50分くらいで、まあまあ速い方だったんです。数字に成果が表れるのがうれしかった。

ファッションも一応評価は出るけど、人によって評価がちがう。その点マラソンはがんばった分だけタイムが縮んで、結果が明確に出る。それが新鮮でした。

山口面白い。ファッションは数字ではかれないですからね。解釈が価値を決める。その世界でがんばってきた人が、数字に新鮮さを感じたんですね。

30年数字にとらわれない生き方してきて、ランニングの世界にとびこんだら、数字で自分が成長してるのがわかる。

山口それは記録出したくなりますね。マラソンのタイムが伸びていって、数字の世界の魅力を知って、仕事に何か影響はありましたか?

心身とも健康になって、さらにポジティブになった。元々ポジティブだけど(笑)。

はじめてのフルマランは2012年の大阪マラソン。目標4時間半切りで臨んで、結果は4時間18分51秒!

仲間とバトルする面白さ

山口パールイズミさんにはKONAチャレのユニフォームを作ってもらいましたが、そのときパターンは……。

私が引きました(笑)。 

山口KONAチャレのユニフォームを着て初めて出たレースは?

山口さんと出た2019年の宮古島かも。 

山口着心地はいい?

もちろんです(笑)

山口KONAチャレ以後で印象に残るレースは何ですか?

宮古島も佐渡も楽しかったけど、一番は2018年佐渡Aかな。東度さんとバイクで抜きつ抜かれつして、ランで逃げて、私が女子総合5位、東度さんが6位。

山口会心のレースだった? 

だったと思います。スイムは1時間28分くらいで、全体の真ん中より少し遅いくらい。バイク190㎞は6時間55分で、何百人抜かしたかっていう感じ。
ランは4時間16分で、これにはトランジションも入ってると思うんですが、なんとかまとめた感じですね。

山口運営側としては、当初、KONAチャレプロジェクトが順調に盛り上がるかどうか気になっていたんですが、9月に佐渡で巽さんと東度さんがバトルして、5位・6位と活躍してくれたので、これからを期待させる展開になり、安心したのを覚えてます。 

KONAチャレ初年度の2018年、佐渡大会Aタイプ女子総合の表彰式。5位巽さん、6位東度さんという結果と、文字通り切磋琢磨し合うレース展開でKONAチャレを盛り上げてくれた ©Masaru Furuya

めざすのはレースの成果だから
練習量を目標にしない

山口その頃の練習時間はどのくらいだったんですか?

練習量は私、たぶんKONAチャレで一番少ないと思います。みんなのSNSやフィードバック見て、いつもびっくりしてます。東度さんも、子育てして料理や洗濯もしてるのに、私の倍くらい練習してる。「なんでそんな練習時間つくれるの?」って思います。

山口少ない練習量で結果が出るのは、何か工夫をしていたから? 

みんな毎日トレーニングするけど、私はしないようにしてます。特にランはやりすぎてケガするのがいやなので続けない。

バイクは今インドアがメインです。前は外へ土日のどちらか乗りに行っていたけど、長くやればいいってもんじゃないと思うようになりました。よくアスリートは「月間走行距離どれくらい」と言うけど、目標はレースのタイムを縮めることで、月間走行距離じゃない。私の場合、ランは月100㎞、多くて150㎞。

山口少ないかも。質が高い?

トライアスロン始めたときすでにランは速かったので、それをキープして、遅くならなければいいという考え方をしてます。

KONAに行きたくて月200㎞走ってケガしたらだめですから。100〜150㎞でやれてたんだからこれでいい。

山口ケガはしない?

ヒザとかふくらはぎとか、軽いのは何度かありますけど、長く休むようなケガはないですね。トレーニング中も違和感あったらすぐやめるし、レース中痛み出たら無理にゴールまで行ってケガしたらいやだからリタイアします。

山口巽さんらしさが出てますね。練習もやりたいようにやる。

©Kenta Onoguchi

自分の限界を知りたいから
頂点をめざす

山口巽さんはトライアスロンで、なぜ頂点をめざすんですか?

自分の限界を知りたいから。

海外留学ではファッションデザインの勉強より英語がしんどかったとか、会社勤めでは徹夜で眠れないとか、家に帰れないとか、ハードな仕事で試されたし、人生でずっと試されてきた気がします。

マラソンもトライアスロンも毎回試される。試されているうちに限界を知りたくなった。たぶんそういうのが好きなんだと思います。何よりやってて楽しいし。

山口特に楽しいのはどんなことですか?

新しい出会いが増えて、友達が増えたことです。30過ぎてそういう新しい出会いってなかなかないですから。

私の場合ウルトラマラソンもやってるんですけど、競技人口が少ない分、大会で声かけられて一緒に練習するようになったり、親しくなりやすい。

トライアスロンも大会や練習会に行ったら知ってる人がいて、常に刺激がある。それも楽しんでできる要素だと思います。

ほかのKONAチャレメンバーやTK(竹谷賢二さん)とともにレース前から健闘を誓い合い、士気を高め合った2019年の宮古島大会 ©Kenta Onoguchi

山口突き詰めて上をめざしている人たちのほうがつながれるんでしょうね。出るだけならそんなにつながる必要もない。頂点をめざしているから共感できるし、仲良くなれる。

巽さんの性格ならいずれKONAは出られると思うんですが、KONAに出たら、その後は何をめざしますか?

連続出場できたらいいけど、それ以外ではウルトラマラソンかな。KONAのために休んでるので、そこでも限界まで行ってみたい。100㎞サブテンとか24時間走とか。

山口ただがんばる人とちがって、めざしてる人は応援されますよね。仕事でも会社員が出社して仕事をがんばるのは当たり前です。「めざす」というのは関与のしかた、理想をめざしてるかどうか。その姿勢が輝いて見えるし、まわりに元気を与える。だからまわりの人たちは応援したくなる。

巽さんの人生もただがんばってるというのではなく、ロンドン留学でもマラソンでもトライアスロンでも、理想を追求してますよね。めざす人は応援したくなる。

自分は好きなことしてるだけだけど、それで応援してもらえるのはありがたいですよね。

山口応援されるのは、「こうありたい」「こういうことしたい」と発信してるからです。夢にストレートで、それをアウトプットしてると応援してもらえる。

メイクスは日本一の不動産企業をめざしてるんですが、ただがんばってるのではなく「心と体の健康寿命100歳づくりに貢献する」理想を追求している。それを広く知ってもらうために日本一をめざす企業として活動を発信している。だから理解して、応援してくれる人たちが増えていく。

理想を追求する姿を発信するというのはKONAチャレのテーマでもあるんですが、そういう生き方を巽さんからも感じられてうれしいです。

今日はありがとうございました。

トップページに戻る