今年60歳、KONAチャレメンバー最年長の小泉邦明さんだが、トライアスロン歴は5年。まだまだ成長過程にある。59歳でKONAチャレに応募し、これまでとは違った意識、レベルで60代をスタートした。職業は30代で設立した広告制作会社の経営だが、60代で経営を後継者に譲り、自分は事業から派生した新しいビジネスに挑戦しようとしている。
仕事でもトライアスロンでも60から新しいステージに入ろうとしている小泉さんに、これまでの人生とこれからのライフプラン、トライアスロンにかける思いを聞いた。
プロフィール
こいずみ・くにあき
1959年、東京・神楽坂生まれ。広告代理店・制作会社勤務を経て36歳で広告制作会社を設立。経営とともに広告制作のプロデュースや、クリエイター向けのビジネスコーチングなどを手がける。中学・高校時代はバスケットボールに打ち込んだが、その後のスポーツはスキーなど趣味程度。50歳のとき東京国際女子マラソンで高齢者の女性が走る姿に感動してマラソンを始めた。55歳でマラソン仲間に誘われてトライアスロンのリレーに参加したのをきっかけに、トライアスロンにのめり込み、館山トライアスロン、佐渡Bタイプ、宮古島、佐渡Aタイプを完走。悔いなく50代を終え、最高の60代をスタートするために、59歳でKONAチャレに応募した。
Interviewer
山口一真
1982年東京生まれ。小学校から大学までバスケットボールに打ち込む。社会人になってスポーツから遠ざかり、一時期体重が100kgを超えたが、選手時代のノウハウを活かした食事と運動により1年間で40kgの減量に成功。2018年メイクスのKONAチャレ担当になったのを期にスイム・バイク・ランのトレーニングを始め、木更津トライアスロンでレースデビュー。秋にはアイアンマン台湾を完走した。2019年は宮古島とアイアンマンバルセロナに出場予定。
一瞬のきっかけからのめり込んだ
マラソンとトライアスロン。
山口小泉さんはトライアスロン歴5年ということですが、若い頃からスポーツは何かされていたんですか?
小泉中学・高校でバスケットボールをやっていましたが、その後はスキーなど趣味程度にやっていただけです。
山口55歳でトライアスロン始めたきっかけは何だったんですか?
小泉マラソン仲間に手賀沼トライアスロンのリレーに誘われて、バイクパートを走ったのがきっかけでした。それまでトライアスロンに興味を持ったことはなかったんですが、面白そうだし、自転車だけならできるかなと、軽い気持ちで始めました。
山口バイクは持っていたんですか?
小泉いえ。翌週バイクショップに見に行って、その翌週買いました。
山口すごい決断力ですね。それまでのマラソン歴は長かったんですか?
小泉50歳からですから、トライアスロンの5年前ですね。たまたま地元の神楽坂に近い四谷あたりで当時の東京国際女子マラソンを見ていたら、70歳くらいの高齢者の女性が走っていた。それに感動して自分も走りたいと思ったんです。翌年いきなりフルマラソンに出て5時間30分くらいかかりましたが完走し、そこから5時間、4時間台と、記録を縮めていきました。富士五湖マラソンの72㎞の部も完走しています。
山口それもなかなかのスピード感ですね。
小泉マラソンを見たことがきっかけでしたから、最初からフルマラソン以上の距離しか眼中になかったんです。神宮外苑をメインに走るようになり、自然とそこで走っている人たちと話すようになって、ランニング仲間が増えていきました。
山口その仲間からの誘いがトライアスロンにつながったわけですね。トライアスロンもわりと早いタイミングでロングに出ていますよね?
小泉リレーに出た翌年2014年は館山トライアスロンデビューし、2015年には佐渡B、2017年には宮古島とアイアンマン70.3セントレア、佐渡Aを完走しました。
主なレースリザルト
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2018 銚子マリーナトライアスロン
3:04:002018 新島トライアスロン
2:55:002017 宮古島トライアスロン
13:10:392017 アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン
6:30:102017 佐渡国際トライアスロンAタイプ
15:07:092018 古河はなももマラソン
4:12:30
計画を立て、トラブルを乗り超える。
ロングの楽しさは経営にも通じる
山口ロングのほうが好きなんですか?
小泉どちらも好きです。ショートはスピード感があるところがいい。ロングはペース配分や補給、着替えとか、色々戦略を立てる楽しさがありますね。レースまで時間をかけて準備していくところが好きですね。私は計画を立てないと動けないタイプなんですが、計画を立てればあとは行動していくだけ。そのプロセスが楽しい。
山口いろんなタイプの人がいますよね。おおまかに考えて場当たり的にやっていく人もいれば、とことんロジカルに考え、補給ひとつでも消化吸収まで緻密に考える人もいる。
小泉私も緻密に考えますね。特にバイクはいつ何を補給するか、どう走って目標タイムを出すか、いろんなケースを想定して準備します。途中でタイムが計画とズレたら、それをどこでどう取り戻すかといった判断も必要です。ショートはシンプルに押していけますが、ロングは逆に頑張りすぎないことが大事だったりする。
山口計画を立てて実行し、自己分析しながらパフォーマンスを最大にもっていくところは経営にも通じますね。やっていることはまさにビジネスの予実管理です。企業経営者にトライアスロン好きが多い理由もそこにあるような気がします。緻密に計画を立てても本番では色々なことが起きる。それをどう乗り越えてめざすところに着地させるか。
小泉そこにロングの楽しさがありますよね。
トライアスロンもビジネスも
自分で考えるから伸びる。
山口これまでのベストレース、会心のレースというのはありますか?
小泉2016年の宮古島、2017年の佐渡Aは、記録がいいわけではありませんが、3種目それぞれ目標通りでしたし、補給のタイミングなどもうまくいって、自分としては満足できるレースでした。
山口結果がたまたまよかったというのではなく、自分で計画・実行してその結果を出すということが重要だと思います。たとえばビジネスでもある期間に予算の200%という成績を出すかと思えば、次の期は目標に全く届かなかったりする人がいます。
元々計画が甘かったり、アクシデントの対応力がなかったりするので、幸運に恵まれてたまたま良い結果を出すこともあれば、逆の結果になることもあるんですね。その点、計画を立てて実行していける人は、着実に目標を高めながら結果を出していける。トライアスロンでもそれができる人はKONAに行ける確率が高くなると思います。
小泉目標を高めながらというのが大事ですね。私の会社の社員には、クリアしやすい範囲で目標を低めに設定しがちな人が多いんですが、それだと伸びていかない。ちょっとハードルを上げて、チャレンジしていくことが必要だと思います。
そういう人が「1年でこういうことをやりたい」と言ったら、私はそれに対して「これを6カ月でやるにはどういう方法がある?」と問うようにしています。そうするとチャレンジする方法を考えますから。
山口考えてもらうというのがいいんですね。小泉さんの中にはどうすればいいかという答えがあっても、あえて考えさせる。考えるところから主体的な行動が生まれる。
小泉こちらから言うのは簡単ですが、当人に考えてもらわないと意味がありません。トライアスロンのトレーニングもそうですね。コーチに教わるのも必要ですが、自分で改善策を考えていかないと、なぜそれをやるのかわからないし、ノウハウも身につかない。基本は自分で考えて、わからないことを聞くという姿勢が必要です。
2年前にバイクの力をつけたくてスマートコーチング(※1)のセッションに参加したんですが、ご指導いただいたコーチは答えを言わず、参加者に考えさせてくれました。参加者それぞれが考え、意見を言い、やり方を工夫した。おかげでペダリングを深く考えることができ、腿の上げ方、踏み込む打点によってどこで負荷がかかるかといったポイントが、実践的に理解できた気がします。
※1 Luminaのセミナーなどでも指導を担当する安藤隼人さんが主宰するパーソナルコーチングスタジオ
楽しさに惹かれて入った広告業界。
36歳で起業したのは祖母の影響?
山口小泉さんの仕事は広告制作会社の経営とのことですが、広告業界に入ったきっかけは何だったんですか?
小泉大学時代、広告・マスコミ業界の華やかな雰囲気に憧れて、大手代理店でアルバイトをしたのがきっかけでした。1970年代の終わりから80年代の初めの広告業界はおおらかで、アルバイトにもCMのストーリーを考えさせてくれたりした。
そういう自由で楽しいところに惹かれて広告代理店に就職したんですが、ものづくりの現場の方がもっと楽しそうだと感じたので4年でやめて制作会社に転職しました。自分で制作会社を立ち上げたのは36歳のときです。
山口勤めているうちに自分で会社を経営したくなった?
小泉そうですね。勤めているときも「いずれ自分で会社をやろう」と思っていました。そこにはもしかしたら祖母の影響があるかもしれません。祖父が戦前に神楽坂で運送会社を経営していたんですが、祖母もミルクホールをやっていた。私は子どもの頃から「人に使われて生きるもんじゃないよ」と祖母に言われて育ったんです。
山口お父さんは運送会社を継いだんですか?
小泉いえ、国家公務員です。堅物で怖かったから、私は苦手でした。子ども心に「こういう大人になりたくない。自由に生きたい」と思っていた。それも私の生き方に影響したかもしれません。
自分が仕事の苦労を知り、親として子どもを育てる立場になった今では、父も大変だったんだろうなと思いますが、若い頃は反発心のほうが強かったですね。
60代で会社を譲り、KONAに挑むことで、
新しいライフストーリーが始まる。
山口後継者を育てて会社の経営を移譲していくといったことは考えていますか?
小泉30代で起業したときは50歳で譲ろうと考えていたんです。若い経営者というのに憧れていたし、年取ってからいつまでもトップにいるというのはよくないと考えていましたから。
現実には色々事情があってまだ代表をやっていますが、後継者も役員の体制も育ってきているので、2020年に交代しようと考えています。並行して私ひとりでできる小規模な新ビジネスもすでにスタートさせているので、今後はそちらのほうに専念する予定です。
山口2020年は奇しくもKONAチャレの3年目ですね。
小泉仕事とリンクさせたわけではないんですが、KONAチャレの募集告知を見たときに、2018年から2020年という期間が自分にとって50代の最後と60代をスタートする時期にあたるという意識はありました。
それで「悔いのない50代を終えるために、人生サイコーの60代にするために」ということをエントリーシートに書いたんです。
自分の実力では3年という期間が短すぎると思ったので、応募はギリギリまで迷いましたが、「迷ったら勇気のいる方を選ぶ」というのが私の信念なので、送信ボタンを押しました。その瞬間、憧れだったKONAが目標に変わりました。60歳で会社の受け渡しとKONA出場の両方できたら最高ですよね。
色々なチャレンジのストーリーを
発信していくのがKONAチャレの狙い
山口実際KONAチャレメンバーに選ばれたときはどう感じましたか?
小泉「僕でいいんですか?」という感じですよね。冷静に考えればKONAのハードルはものすごく高い。チームのトライアスロン仲間にも応募した人がたくさんいて、「なんでおまえが?」という視線をひしひしと感じました。彼らよりトライアスロン歴も浅いし実力もないんだから当然ですが。
山口すでに実力がある人を選べば、KONAに行く確率は上がりますが、それでは意味がないんですよね。実力が足りない人がチャレンジして目標に近づいていく、そのストーリーを伝えていくのがKONAチャレの狙いですから。夢や理想をトレーニングで現実に変えていく小泉さんの姿勢や日々やっていることがメンバーにも良い刺激になっていると思います。
小泉KONAチャレメンバー全員が目標をクリアできるかどうかよりも、そこまでの過程で色々な人やツールに出会い、色々な体験ができることが我々メンバーにとっても貴重な財産になっていきます。
山口プロではないわけですから、メンバーには「KONAに出なきゃいけない」といったプレッシャーは感じてほしくないですね。ハードルが高くてもメンバーそれぞれが目標に向かって考え、行動していくプロセスを発信していくことが大切なのであって、プレッシャーに押しつぶされたら意味がない。
今回の館山のKONAチャレ合宿では、近くの中華料理店のご主人が我々に「KONAチャレがんばれ!」と声をかけてくれました。海外のレースで「KONAチャレがんばれ!」と沿道から応援してもらったメンバーもいます。人間というのはがんばっている人には何かを感じて応援したくなるんですね。そこにKONAチャレの意味があるという気がします。
小泉KONAチャレは浸透しつつありますから、そのウエアを着ているとレースでも恥ずかしい走りはできないという気になりますし、それが励みにもなります。
山口2020年に会社を後継者に譲り、KONAチャレが終了した後は、どんなトライアスロンライフを思い描いていますか?
小泉KONAへの挑戦は行けても行けなくても今回のプロジェクトで一旦終了とし、その先はまず国内のロングに出ようと考えています。去年五島と佐渡Aを完走できなかったことが、私の中で忘れものみたいに残っているので、その2大会と、まだ出たことがない皆生など、国内の四大ロングを完走したい。
さらにその先はまたアイアンマンを完走レベルで楽しみたいですね。いずれにしても生涯トライアスロンを続けることになるでしょう。
山口今日はありがとうございました。