長いトライアスロン歴と豊富な知識、KONAへの熱い想いでチームを牽引する須田光さん。大学時代にトライアスロンを始め、ライフステージが変化するたびに中断しては学生時代の仲間と再挑戦し、職場のトライアスロン仲間やルミナの合宿に刺激を受けながら、アイアンマンで速くなる努力を継続。そしてKONAチャレプロジェクトに参加することになり、本気でKONAを目指すようになった。このプロジェクトを全力サポートする(株)メイクスのKONAチャレ担当で、自身もトライアスロンを始めた山口一真さんが聴き手になり、須田さんの生き方とトライアスロンの魅力、KONAチャレにかける想いを語ってもらった。
プロフィール
須田光
1972年生まれ、45歳。金融関係勤務。小学校から主に埼玉県・狭山市で育つ。中学時代は水球、慶應義塾大学でトライアスロンを始める。以後何度か中断しながら、無理のない範囲でトライアスロンを継続し、10年前からロングディスタンスに本格的に取り組み出した。今年は10日前にギックリ腰を発症しながら、猛暑の皆生トライアスロンで総合35位。12月にアイアンマン西オーストラリアに出場予定。
山口一真
1982年東京生まれ。小学校から大学までバスケットボールに打ち込む。社会人になってスポーツから遠ざかり、一時期体重が100kgを超えたが、選手時代のノウハウを活かした食事と運動により1年間で40kgの減量に成功。メイクスのKONAチャレ担当になったのを期にスイム・バイク・ランのトレーニングを始め、木更津トライアスロンでレースデビュー。秋にはアイアンマン台湾に出場予定。
トライアスロンとの出会いは学生時代
山口まず須田さんのスポーツ歴、トライアスロンとの出会いから教えてください。
須田中学で3年間水球をやっていたんですが、高校時代に雑誌『ターザン』が創刊されて、トライアスロンを大きく取り上げていたことからこのスポーツに興味をもちました。80年代の後半です。日本にもプロトライアスリートが誕生し、トライアスロンの第一次ブームが起きていた。これまでの競技スポーツにはない楽しさが感じられて、「やりたい!」と思いました。
山口実際に始めたのはいつですか?
須田90年代の初め、慶応義塾大学に入学し、トライアスロン部「Team J.」に入部して始めました。初心者でしたからインカレにも出られず、関東カレッジ止まりでした。今から思えば練習もそんなに真剣にしていなかったですね。先輩や仲間にはインカレで活躍する選手もいて、彼らはとてもまぶしい存在でしたが、自分としては楽しいから細く長く続けようというスタンスでした。
山口大学のトライアスロンはメインがショートディスタンスでしたか?
須田選手権はショートでしたが、仲間と佐渡トライアスロンのBタイプ(ミドルディスタンスのレース)やAタイプ(ロング)、アイアンマンNZに出たりもしました。苦しかったですが、ゴールするとショートとはまた違う感動がありましたね。仲間には学生のうちにKONAに出た選手もいましたが、私とは次元が違い過ぎると感じていました。その後もずっと彼は私のあこがれであり、目標でありつづけています。
細く長くトライアスロンを継続
山口社会人になってもトライアスロンは続けたんですか?
須田最初に務めた製紙メーカーで米子工場に配属されたんですが、米子市は日本最初のトライアスロン大会である皆生トライアスロンが開催されているところです。練習環境が良くて時間もあったので、2年半ほど練習に打ち込んで皆生大会にも出ました。しかし、そこから将来のための勉強を始めたので、時間がなくなり、トライアスロンはやめてしまいました。
山口どんな勉強を?
須田 会計(米国会計基準、US GAAP)です。大学時代は理工学部で、技術者としてメーカーに就職したんですが、学生時代、オーストラリアに滞在したとき、あの国がとても気に入って、「将来ここに住みたい」と思うようになったんです。
メーカーで技術者をしていても、この夢に近づけそうもないとわかってきたので、米子時代から米国公認会計士試験の勉強を始め、4年半で会社を退職して東京に戻りました。結局、会計事務所勤務1年を経て、金融系に転職し、妻と出会い、結婚したのもこの頃で、米子時代の後半から東京に戻ってしばらくはトライアスロンから離れていましたね。
山口トライアスロンを再開したきっかけは?
須田本格的に再開したのは10年くらい前ですが、その前に学生時代の仲間と沼津エキデン(ひとりずつショートディスタンスの3種目を繰り返しながら4人でリレーする大会)に出るようになったんです。社会人になると時間がとれなくてやめてしまう人も多いんですが、ショートならそんなに練習しなくてもなんとかなるし、仲間とたすきをつなぐエキデンだとまた楽しい。無理のない範囲で続けていると、また条件が整って、気分がたかまり、本格的に復帰できるようになるんです。
仲間と佐渡トライアスロンに出て
もう一度トライアスロンの火がついた
山口トライアスロンを本格的に再開してから、またロングディスタンスに出るようになったきっかけは何だったんですか?
須田ひとつはそれまでずっと乗っていた旧式のバイクから、新しいバイクに乗り換えたことです。古いバイクはギヤのシフトレバーがフレームのダウンチューブについているタイプで、今のバイクにくらべるとギヤシフトしづらく、素材もクロモリ(クロームモリブデンという鉄の一種)で重かったんですが、アルミバイクに変えたら、当然のことながらものすごく軽くて扱いやすく、乗るのが楽しい(笑)。これでまず火がついた。
山口ほかにもきっかけがあったんですか?
須田これもやはり大学時代の仲間と飲んでいるときに「もう一度佐渡に出よう」と盛り上がり、佐渡トライアスロンのBタイプに出たことです。ショートより大きな楽しさ、感動をもう一度味わった。これで初めて「アイアンマンに出たい」「もっと速くなって、いつかKONAに出たい」と思うようになったんです。
山口須田さん自身のKONAチャレはそこから始まっていたんですね?
須田そうとも言えますが、今にくらべると明確なプランはなくて、自分なりに練習を工夫して少しずつ速くなり、「同世代のパフォーマンスが落ちてくる60〜70代くらいで出られたらいいな」くらいの気持ちでした。
新しい仲間との出会いが高めたモチベーション
山口ルミナの朝スイムやTKバイク合宿に参加するようになったのはその頃ですか?
須田それは数年後ですね。その前にひとりでレベルアップに取り組んでいた時期があります。アイアンマンで速くなるには、3種目同時に速くなるのは難しいと感じたので、まずひとりでなんとかなるランでトレーニングのレベルを上げようと、マラソンのサブスリー(3時間切り)を目指しました。
2年くらいでそれをクリアし、次にバイクを強化しようと考えたんですが、ランと違ってひとりでトレーニングしていては、パフォーマンス向上は難しいと感じ、ルミナのTK合宿に参加するようになったんです。そこで技術的にたくさんのことを教わっただけでなく、新しい仲間とも出会い、刺激を受けました。
竹谷さんもトライアスロンを始めたばかりで、「いつかはKONAに」みたいなことを言っていたんですが、意外にあっさり出場権をとってしまった。これは刺激的な出来事でしたね。
山口新しい出会いが新しい刺激をくれた?
須田まさにその通りです。仕事も金融系で数回転職しましたが、今の会社にはトライアスロンチームがあって、その仲間からも刺激をもらっています。後回しにしていたスイムは水球出身のわりに遅いんですが、ルミナの朝スイムなどに出るようになり、技術的な改善に取り組むようになりました。
山口アイアンマンシリーズにも出場するようになった?
須田最初はアイアンマン出場としては約20年ぶりのメルボルンですが、タイムは13時間台で、まだファン・トライアスリートとしてアイアンマンの雰囲気を楽しんだというレベルでしたね。同年、翌年に洞爺湖でアイアンマン・ジャパンに出て、12時間台、11時間台と少しずつ速くなっていきました。
山口アイアンマンの魅力というのは何ですか?
須田日本の大会も好きですが、海外のアイアンマンは格別な楽しさがありますね。演出が素晴らしいし、何より、アスリートを主役としてもてなしてくれるホスピタリティーが感じられます。
そして、KONAチャレで本当に火がついた。
山口KONAチャレメンバーに選ばれたときはどんなことを感じましたか?
須田これで本当に火がつきました。「いつか行きたい」という夢じゃなく、3シーズンという期限を設けて、「こうやれば行ける」というメニューを作り、実践していく。3カ月ごとに自分の状態を測定して、専門家のアドバイスが受けられるし、KONAに連続出場しているTKからアドバイスがもらえる。プレッシャーはありませんね。うれしくてしかたがない。
山口メンバーの中ではKONAに行ける可能性が高いほうだと思いますが、まわりの反応はどうですか?
須田いろんな人から「いけるんじゃない?」と言われることがあります。まだまだ現時点の実力ではかすりもしないレベルですが、言われていると自分でもそんな気がしてくるもので、そういう勘違いというか、思い込みも大切なんじゃないかと思います。
KONAに出続けるという生き方がかっこいい
山口須田さんにとってトライアスロンの魅力とは何ですか?
須田まずトライアスロンというスポーツが好きですし、忙しくて真剣に取り組めなかったときでも、レースに出るたびに楽しさを味わうことができました。大人になると心から楽しくてケラケラ大笑いする機会は子どもの頃にくらべて圧倒的に少なくなりますが、トライアスロンをやっていることで、楽しくて楽しくて心底笑顔になる機会がたくさんある。
バイクで出かけると自然を近くに感じることができるし、レースではトライアスロンをやってなかったら行かないような場所に行くこともできる。トライアスロンをやることは自分にとって人生のスパイスになっていると思います。
山口トライアスロンの中でも、KONAに出るというのは特別ですか?
須田アイアンマンに出るだけでもかなり努力のレベルを上げる必要がありますし、KONAに出るとなると、それがさらに高くなる。仕事を優先しつつ、時間を絞り出さなければならない。別にやらなくてもいいわけですが、自分が出たいと心底思っているからやる。そういう生き方ってかっこいいと思うし、好きですね。今はKONAに出ることが目標ですが、それをクリアしたら次はKONAに出続けることができるアスリートになりたい。そうなれたらさらにかっこいいと思います。
KONAチャレの仲間と刺激し合いたい
山口スポーツをやるとき、人には同じ目標をもつ仲間に自分のがんばりを認めてもらいたいという承認欲求みたいなものがあると言われます。それが満たされることで元気になり、モチベーションがさらに高まる。KONAチャレにもそういう仲間と共有するものが生まれてくるといいと思うんですが、そのあたりはどう感じていますか?
須田メンバーやフレンドとミーティングや食事会、練習会や合宿などで話す機会があると刺激を受けますよね。ただ、メンバーは全国各地にいて、普段はなかなか会えない人もいるので、それぞれのSNSなどを通じても自分の日々のトレーニングやそこで考えたこと、試みたこととその成果などの発信を見ると、僕も大いに刺激を受けます。
今まで以上に自分も含めてもっともっと発信する人が増え、お互いにさらに刺激し合えるといいのかなと思います。
山口KONAチャレはレギュラー・フレンドメンバーだけでなく、私も含め、それを見守る多くの人に刺激を与え、チャレンジするアスリートの輪を広げていくことを目標にしているプロジェクトですから、その意味でも、メンバーの皆さん自身の発信は大きな意味がありますね。
今日は貴重なお話し・ご意見をありがとうございました。